Spice cafe diwali@京都市中京区河原町三条下るミーナビル7F
Spice cafe diwaliで本日のランチを注文したら、ほうれん草チキンカレーとナンのセットだった。
ふわふわのナンがついている。
サラダもふわふわしている。アイスチャイティーもおいしい。
このビル、ユニクロとかロフトとかが入っているおしゃれなビル。その7階にこの店がある。
インドネパール料理の店というと、けったいなインド音楽が流れていたり、壁には不吉なタペストリーが飾ってあったりしてちょっと暗色のイメージがある。
でも、ここは、全く違う。明るくセンスのいいカフェの感じ。
レジで「ここはネパール料理ですか?」と聞くと、アジア系の店員がいつものように「インドりょ・・・」とちょっともごもごしていた。
で、「ここで働いているひとはネパールの人ですか?」とさらに聞くと、「ネパルです」とはっきり答えた。
だが、インドとネパルの国境を私は知らない。
井上 岳久『カレーの世界史』SBビジュアル新書
井上岳久氏はカレー研究の第一人者であるそうだ。
いろんな第一人者があるんだなあ。
井上氏は商社などに勤務後、「横濱カレーミュージアム」プロデューサーに就任し、その後、カレー総合研究所、カレー大學を設立したとか。冗談のような本当の話みたい。
カレーが生まれたのはインドだが、いつ生まれたかは定かでないらしい。
ヴェーダは口伝で現代に残っているため、歴史書に出てくるのはスリランカで5世紀に書かれた『大史(マハーワンサ)』に「インド北東部かのベンガル地方からやってきたウィジャヤ王らが、種子などをすりつぶして作られたスーパというソースとご飯を合わせて食べていた」という記述とか。
でもまあ、ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路の開拓とカレーの歴史が関係しているというのは面白い。インド航路で香辛料がヨーロッパにもたらされてインド料理が広がった。コロンブスは新大陸発見の前にカリブ海の島で唐辛子を見つけて胡椒と間違えたらしいが、カレーを作ったスパイスが大航海時代に世界を巡ったことがカレーの興隆に影響している。これらの歴史はたしかにカレーの世界史と言える。
インドではカレーというものはないとか。全部がカリ(米にかける煮汁、野菜や肉の炒め物の意味)だから。
リンスホーテンが『東方案内記』でインド料理のひとつをカリールと訳したのが形を変えて今の「カリー」になったようだ。福沢諭吉は「コリル」として日本に紹介したのだとか。
日本ではインド革命から亡命したラス・ビハリ・ボースをかくまった中村屋でインドカレーが発売されたのが本格的インドカレーの最初とか。もうひとりのインド革命闘士で日本に来たA.M.ナイルはナイルレストランという日本初のインド料理屋を1949年に開店した。この人、東京裁判でパール判事の通訳だったんだとか。
この本で知ったことだが、日本でカレー世帯別消費量が一番多いのは鳥取なんだとか。この要因として、米どころである説、女性の就業率が高いから説、らっきょうの名産地説がある。当然、らっきょう説を支持したい。
ところで、純粋咖哩批判でインドカレーとは何かを探究しているわけだが、この本から空間的な定義が問題になる。
というのも、インドカレーと言っても大きく4地方の特徴があるようだ。
北部、南部、ベンガル、ゴアというエリア。
小麦の文化圏である北インドでは、ナンやチャパティなどのパンを主食とし、牛乳やバター、ヨーグルトなどの乳製品が使われる。スパイスは、クミン、シナモン、コリアンダーが好まれる。カレーはチャパティなどのパンと合わせて食べられるのが一般的。
南インドは米文化圏。米飯を主食としながら、ココナッツミルクや野菜、豆、魚をよく食べる。菜食主義のヒンズー教の影響で野菜料理が豊富。スパイスはブラックマスターやカレーリーフが好まれる。カレーはサラサラなのが多く、辛さが際立っている。
インド東部のベンガル地方では、淡水魚のスープや煮込み、海老やカニ、サワラやマナガツオなどの海水魚を使った料理が食べられる。クミンやフェンネルなどが入ったミックススパイス「パンチポロン」がよく使われる。カレーは魚介類、それもコイなどの淡水魚が好まれる。南インド度と同じく米といっしょにカレーを食べる。
ゴアはかつてポルトガルの支配下だっため、現在もキリスト教徒が多い。豚肉も食べられることもある。カレーはクリーミーなど-酢で辛さはマイルド。日本人には食べやすいとか。
さらにこれをインド文化圏として近隣国にまで広げるとどうなるか?
北東のパキスタンはもともとインド帝国の一部だった。イスラム教徒が多いことから独立した。その後、東パキスタンはバングラデシュとして独立した。パキスタンではインド北西部のパンジャーブ地方と似て、スパイスをふんだんに使った辛さの強いものになっている。一方、バングラデシュは水産資源が豊富なため、米と魚がふんだんに使われる。
北西のネパールは「ダルバート」と呼ばれるカレーと複数の惣菜を一緒に食べるスタイル。惣菜のタルカリはスパイス控えめ。ネパールはヒンズー教徒が多いため、牛肉は使われず、鶏肉や豆、野菜がふんだんに使われる。カレーの辛さは控えめ、ターメリックやクミンなどは使うが唐辛子はほとんど使わないためマイルドな味。
スリランカは仏教徒が多いため、肉のタブーがない。モルディブフィッシュという乾物の味付けが日本人好みになるらしい。
果たしてインドカレーとは何なのか?
このような意味の場として現れるインドカレーの存在すべてを「世界」として捉える必要がある。
<世界>としてのインドカレー。
果たして<世界>は存在するのか?
また、この本で紹介されているカレー本は参考になる。
辛島昇『インド・カレー紀行』岩波ジュニア新書
森枝卓士『カレーライスと日本人』河出文庫
リジー・コリンガム『インドカレー伝』河出文庫
コリーン・テイラー・セン『「食」の図書館 カレーの歴史』原書房
小菅桂子『カレーライスの誕生』講談社学術文庫
など
石﨑 楓『京大カレー部 スパイス活動』世界文化社
著者の石﨑楓さんは高校生のときにインドカレーに出会い、インド哲学を勉強するために京都大学に入り、インドにも留学した。4代目の京大カレー部の部長になった。
京大カレー部の地域活動として、故郷の豪雪の富山や和歌山の梅園でカレーを振る舞った。
Curry is Love.
カレー部の悟りのひとつらしい。
カレー部の悟りは7つあって、その一番目が「カレーはいろいろ混ぜれば何とかなる」。
確かにスパイスは混ぜれば混ぜるほど何とかなると思う。
本の最後にタンドール窯をつくる会社の社長へのインタビューがある。
インドではナンを焼くとき泥で固めた窯で焼く。日本に来たインド人は初めてセラミック製の電気タンドール窯に出会うとか。国内シェア60%。一時は90%あったらしい。
その社長も京大カレー部の学生とラス・ビアリ・ボースとA.M.ナイルのことを当たり前のように歴史として語っている。
日本におけるインドカレーの常識ってあるんだ。
ところで、この本には「カレーの核」という章で、「一体いつからがカレーなんだろうか」という問いを考える文章がある。
一体いつからがカレーなんだろうか。パウダースパイスを入れる瞬間か、「カレー」らしく煮つまり始めた瞬間か、はたまたごはんにかけるその瞬間か。
私はためらいなく、タルカこそカレーの源だ、と答える。タルカは、油を熱し、ホールスパイスを加えてはじけさせ、油にスパイスの香りを移す工程である。カレー作りの始まりに行われるか、もしくは最後に加えられる。タルカこそが、ただの「煮込み料理」を「カレー」にすると私は考える。
さらにそこに、にんにく、しょうが、玉ねぎ、トマトといったフレッシュスパイスたちがひとつひとつ完膚なきまでに炒められ、かの「美味しい油」と一体化していく。そうしてできた得も言われぬ赤茶色の塊がマサラといわれる<カレーの核>であり、鍋の底から湧き上がるような旨味となる。
スパイスカレー作りは、タルカから始まり、マサラの段階をもって、既にして立派なカレーとなる。
素晴らしい!
哲学的な文章である。